2015年02月01日

「自己責任論」と「いじめ」の構図がよく似ているなぁという意見

 まず、最初に書いておきますが、特に論拠などは持ち合わせていないので、論破しようとか挑んで来られると大変困ります。こういう考えを持つ人もいると思ってくれたら幸いです。

 現在進行形で事件の状況が変わっている中でいつこの亊を書こうか、または書かずに済ますのかと考えていたのですが、ついに久しぶりにブログの編集画面を開けました。

 まず、いじめについて・・・
いじめは「いじめる人」と「いじめられる人」と「傍観者」の3極の構造を持っています。
そして、「いじめられる人」を除く多くの関係者に以下の様な意見の人がいるので困ります。
「いじめられる側にもいじめられる理由がある」(自己責任である)と・・・
すっかり「いじめる」という行為そのものの是非を棚上げにした考え方です。
「いじめる」という行為そのものは原因、要因にかかわらずいじめる側にその行為の責任があるのです。
そして、それは決して許される行為ではありません。
そして、多くの「いじめる人」はその責任を全うしているとは言いがたい現状であります。
また、「いじめる人」に同調している「傍観者」の一部も同様にその責任を問われることは無いでしょう。

 では、テロリストの人質事件における自己責任について
テロリストの人質事件は「テロリスト」と「人質とその関係者」と「傍観者」の3極の構造を持っています。
(ここで人質の関係者とは救出に尽力した政府の方々も含みます。)
そして、「傍観者」と「テロリスト」において以下の様な意見がくすぶっています。
「危険なところに行くことがいけない」(自己責任である)と・・・
すっかり「人質を取った身代金・政治的目的要求」という行為そのものの是非を棚上げにした考え方です。
「人質を取った身代金・政治的目的要求」という行為そのものは要因にかかわらず、「テロリスト」にその行為の責任があるのです。
そして、それは決して許される行為ではありません。
ただし、「テロリスト」はいずれ国際社会に裁かれるでしょう。

でも、「テロリスト」に同調している「傍観者」の一部が裁かれることが無いでしょう。

この「傍観者」はいじめの「傍観者」とほぼ同じでは無いでしょうか?

いじめの主犯の責任を、いじめられる側に転嫁する亊で何らか自らの溜飲を下げているのだとしたらとても浅ましいことだと思います。
同様に、人質と関係者に責任を押しつけることで何かの溜飲を下げているのだとしたら、本当に切なく思います。

乱文失礼いたしました。
posted by とよしん at 21:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 意見