ツイッターだと文字数が足らないのでこちらにダラダラと書きます。
高校時代の友達と先日秋葉原で飲んでまして、カラオケにて歌を歌っていたわけです。
みんなまぁ、私なんかとほぼ同じ成分で出来てるんですが、私が「真っ赤なスカーフ」
を選曲して地味に歌っていたときに、こういう話題になりました。
「うちらって微妙にヤマトは見てないよね」
そうなんです、私の同級生は1971年の4から12月と1972年の1から3月に生まれている
のですが、1974年の最初の宇宙戦艦ヤマトを実際に見たとしても覚えているはずが無いのです。
もちろんヤマト自体は再放送からブームには火がつくのですが、
再放送と言っても話にのめり込むほどの年齢には達していません。
そんなわけで、この微妙にずれた私がなぜヤマトが好きなのかを
自問自答して思い出した原点があったのでちょっと書いておきます。
近所の三軒茶屋にかつて「喇嘛舎」という古書店がありました。
通りに出してある古い新書版小説や文庫版小説は100円で買えたので、
小学生だった私は道端で頻繁に覗いていたわけです。
今の三軒茶屋でいうと「TokyoRusk」というラスク専門店のある角です。
まぁ、そこで見つけてしまったわけです。朝日ソノラマの「宇宙戦艦ヤマト」を、
最初に自分の目に飛び込んできたのは、背表紙の著者・原案の所に、
自分と同じ名字があるって所でした。
ええ、私「とよしん」の「とよ」は「豊田」の「とよ」です。
原案の「豊田有恒」さんの「豊田」と同じなのです。
自分の名字があって、宇宙戦艦ヤマトとというビッグネームで、
路上の100円本です。なんの躊躇なく買いました。
読みました。
・・・・・・・・・・・・・・・!?
これがトラウマものの内容でして・・・
まぁ気になる人はキーワード「石津嵐 宇宙戦艦ヤマト」なんかでぐぐって見てください。
で、テレビの再放送で断片的にしか宇宙戦艦ヤマトを見ていない私は
テレビの結末を実は当時は知りませんでした。この小説の通りだとすると、
なぜ続き(さらば宇宙戦艦ヤマトとか2とか)が作れるのか、
お子様だった私にはサッパリ理解できませんでした。
テレビとは違う話だという事が解るのはだいぶ後になってからで、
なおかつ、まぁ「設定」ってやつは都合良く変更される物だというのもだいぶ
理解出来るようになってきた頃には、映画で「永遠に」を見せて貰って、
テレビで「3」を見ることが出来ました。
再放送されたとしても途中の抜けもなく最初のヤマトのお話の全てを
通しで見る機会はなかなか訪れず、また、映像ソフトを家庭で
簡単に再生出来る機械も普及の途中であり、我が家に機械がやってくるのは早かったのですが、
三軒茶屋にソフトレンタル店はまだまだありませんでした。
通しで見ることが出来たのはじつは結構最近の事です。三軒茶屋にツタヤが出来た頃でしょうか・・・。
でも、ずっとこのトラウマヤマトは私についてまわってまして、
ある意味、ハードなSFの入り口になったと思っています。
ヤマトをSFだって言うと笑うひともいるかと思いますが、
少なくともあの小説のヤマトはSFだと思います。
以上、微妙に世代がずれている私がヤマトに入り込んだ
入り口が「小説版」だったっていうお話でした。
2013年04月15日
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