最初に、写真撮ってません。地味に文字だけで進行します。
同時進行でたくさんのコトが起きたので、自分の車を観察する時間をとれませんでした。
さて、伊豆から帰宅の途についた私たちですが、沼津ICから東名高速に乗りました。VICSの情報で厚木付近で事故渋滞が中井PA付近まで伸びているという事でしたので、足柄SAで渋滞準備としてトイレを済ませていました。時刻は1500を回っていました。
そこから、まぁ流量は多いですが完全に渋滞とはいえない程度の交通量のなかを子供たちとカーナビのHDDの肥やしになっていた炎神戦隊ゴーオンジャーの歌を歌い上機嫌に走って行きました。そんな感じなので眠くもならずに渋滞の最後尾に着いてしまい、ハザードのスイッチを押しながらすーっと止まりました。ええ、止まりました。
「どん」となりましたね。前のクルマにもへこみがつきましたね。ああ、ウチの後ろは止まれなかったんだなぁって何となく思いました。で、追い越し車線だったので、中央分離帯のそばに寄せて止まりましたがその移動中「ゴゴゴゴゴ」って後ろで鳴ります。なんか引きずってる感じです。テンパータイヤがステーごと落ちて片側だけ残っていたので引きずっていました。
まずは後ろのクルマの人が安否の確認に来ましたので、緊急性のあるけが人はいない旨を伝えて、警察に連絡した方がいいかって聞かれて、そうですねお願いしますと、警察への連絡を後ろの人に任せました。ほら、ばらばらにみんな連絡したって混乱の元ですものね。あと、自分は自分の前の人の所に確認。そのうち先頭でおしりだけ壊れたクルマの方がどうやら経験豊富らしくちゃっちゃと仕切り始めました。ええい、任せちゃえ。ってことで警察到着までに自分は保険屋さんに第1報です。昨今の若者なら「事故なう」とかやるところでしょうけど、私は結構なおっさんなのでまずは必要な手配を先にします。ただ、これが自分の時間を追い詰めるきっかけだったかもしれません。
その後、高速隊の人が東名高速3車線を封鎖して私たち4台をすぐ近くのパーキングまで誘導してくれます。あの東名高速片側3車線を封鎖ですよ!うわすげ。
家族そろっての事故遭遇なので、小さな家族の保護を最優先にせざるを得ないわけで、子供は気持ち悪くなって戻すは泣くは、震え出すわでせっかくパーキングに来ているのでいったん子供とカミサンはクルマを離れてパーキングの建物に避難。対応を私一人ですることにしました。その為、高速隊の人たちの事故処理の対応と保険屋さんのレッカー手配と同時進行でオタオタして、いや、忙しいのなんのって。でも、そんな中、ずっとビデオカメラでウチら4台を撮ってる人がいる事に気がつきました。事故の動画マニアでもいるのかとちょっとムっとしてたのですが、後ほどテレビの取材で高速隊の人に密着しているのだと説明に来ました。はい、そういう番組見るの好きです。ついに見られる側に片足突っ込みました。
で、そんな努力の甲斐あってかレッカー移動としては関係車両中トップでレッカーが到着し、積載にも協力しました。ローダーの荷台の上で固定するために、フロントの牽引フックが必要なのだそうで、ラフェスタはナンバープレート下にあるねじ穴へのねじ込み式牽引フックなので、ねじ込み部品は車載工具入れの中です。なんとしても壊れたリアゲートをこじ開ける必要があり、レッカーのお兄さんと二人がかりで開けていました。で、閉まらなくなってしまったので、粘着テープで養生してレッカー移動開始です。
レッカーを見送って、初めて知る事実。パーキングエリアは徒歩なら一般道に出れます。で、タクシーを呼んで、レッカーの向かった先へ渋滞中の東名高速を避けて一般道にて向かいます。タクシーの運転手さんもキャンパーで、ぽつりぽつりと伊豆のキャンプ場の話をしながら2時間ちょっとかけて保険屋さんが手配した板金屋さんに着きました。板金屋さんの話でほんの5分前にレッカー屋さんも到着したとのこと、タクシーがんばったなぁ。
さて、ここからひと仕事、代車のスパシオにら3号満載の荷物をなんとしても積まなくてはなりません。まぁ、手はあります。チビたちの足下を荷室として活用すれば何とかなります。で、板金屋さんに国道への道筋を聞いて、ら3号の事をお願いしてひとまず帰宅することにしました。
事故当日の話はこの辺までですかねぇ。
2013年11月11日
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どうも、ご心配をおかけしましたが、無事通院で治療完了となり、示談へとコマを進めることが出来ました。