世界征服にチャレンジしてみたい訳ではないのだけど書店でパラパラつまみ読みしているうちに購入してしまいました。各種フィクションと歴史上の事象と織り交ぜてあって、まず読み物として明快で、とても楽しめました。
タイトルの「世界征服は可能か?」の回答は興味があったら実際の
書籍にて確かめてください。ネタばらしは良くありませんからね。

世界征服とは実際どういう状態を言うのかを詳細に分析していく過程で、世界征服を成し遂げた人=支配者とは何者なのかを定義しています。その定義を説明する為に階級と階層の意味の違い、ヨーロッパには社会的階級の概念が残っていて、日本には社会的階級という概念が残って無いという意味合いの説明がなされるのですが、私はそこを読んだ時目からうろこが落ちた気がします。
何かというと、長らく自分の中でわだかまっていた一つの疑問に回答が出た気がするからです。
「日本に高級車は存在するか?」
という疑問です。私の中では結論として「存在しない」という答えが出た気がするんです。
ヨーロッパにおける高級車とは「高い社会階級の人」たちの為に一点一点仕上げられるもの、だから「高級」なんです。くたびれたSE(私)を含む労働者から都心のタワーマンションの最上階に住まうお金持ちまで、すべての人がお金を払うことが出来れば買うことが出来るクルマはすべて高級車ではありません。
ヨーロッパでは高級車として仕上げられてもお金を出せば誰でも購入できる日本に輸入した瞬間、高級車としての資格を失います。かつてメルセデスを買ってくれるからという理由で暴力団に売りまくってしまったとある代理店の例を引き合いに出すわけでは有りませんが、つまりそういうことです。階級の残っていない社会日本では高級車はお金に換算され、値段の高い車に置き換わってしまいます。
レクサスがあるじゃないかという指摘はあながち間違っていませんが、日本では成功しているとは言いがたい状況のようです。実はレクサスが簡単に日本で商業的に成功してしまってはレクサスは高級車たり得ないというジレンマが発生します。レクサスを高級車として受け入れる「高い社会階級を持つ人々」の社会が日本にはまるで存在しないからです。高級車を標榜する自動車は、「高い社会階級を持つ客」を選んで売らなくては高級車という称号を維持できません。そして選ばれた客は「高い社会階級を持つ人々」としての立ち居振る舞いを普段からする人々でなくてはなりません。というか出来る人にしか売ってはいけません。はたしてそれが出来ているでしょうか?
自動車を運転される方がこの文章をお読みになったら、ちょっとそういう視点で周囲を走るレクサスという自動車の立ち居振る舞いに注意してみてください。成功しているとは言いがたい状況が見えてくると思います。結局「値段の高いトヨタ車」の範囲の中に納まっているようにしか見えません。
この書籍でも指摘されているのですが、自由主義経済で競争原理の働く社会では高い社会階級向けの製品は、一般大衆向けの製品に駆逐されてしまう傾向があるのだそうです。本当に高級車を日本に根付かせようとレクサスがしているのならば、無謀にも近い戦いを挑んでいる訳です。もし、本当に客を選んで成功したとしたらそれは経済格差による階層だけではなく身分制度による階級の復活であり、レクサスを持てる階級と持てない階級の分化を意味します。身分制度が存在する中世への回帰です。果たしてそれはレクサスにとって、日本社会にとって目指すゴールなんでしょうか?
かの地ヨーロッパでさえこういった身分制度を源流とする階級意識は崩壊しつつあるそうです。ヨーロッパのメーカーの傘下にある日産がインフィニティをちっとも展開しない理由もその辺に有るのかもしれないとか想像してしまいます。本来の高級車インフィニティとしての成功が難しいですものね。
階級という常識を持たない日本人労働者がヨーロッパの高品質な高級品をどんどん買います。身分もわきまえず恥ずかしいという人もいるでしょう。でも、そんな脳みその中が中世な人は勝手に恥ずかしがっていてください。ヨーロッパの身分制度の成れの果てである階級に従う必要などありません。ヨーロッパ社会も向かっている無階級社会とはそういう社会なんです。商品として市場に出回り、金額的に買えるとなれば階級なんかお構いなしに買える社会。それが日本の無階級社会です。
同じ理由でヨーロッパの生活様式や文化、特に「高い社会階級の人たち」の中世的生活様式と文化を日本に持ち込んでも陳腐なだけです。「高い社会階級の人たち」は労働者階級と同じものを利用できません。してはいけないんです。また、同じものだったとしても同じ値段では買ってはいけない、そういう立場なんです。この本の「パブ」と「サルーン」の違いを解説した項を読むと明快にわかると思います。すぐにそんな生活はおかしいって私たちなら思うでしょう。
だいぶ支離滅裂な文章になってしまいましたが、世界征服は可能か?という本の紹介から始まったこの記事での結論はすなわち、「日本には元々高級車が存在出来ない」ということになります。
ただ、勘違いしていただいては困るのは、ヨーロッパでの高級車に匹敵、または凌駕する品質と仕様を持つ高額乗用車は十分に存在すると思います。でも本当に値段が高いですけどね。
posted by とよしん at 22:56
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